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メールインタビュー

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出版社ヒューマンワールドの指圧プラクター小野田茂へのインタビュー 2019年12月27日

質問1 指圧師になったきっかけ

ひとつは環境,そしてひとつは偶然にあります。親父

そして祖父が、お灸や針が好きだったようで、子供の頃から何か分けのわからない人達(鍼灸師や按摩さん)が家に出入りしていたのを子供がてらに覚えています。

そんな環境の下に育っていたので指圧,按摩、針(東洋医学)がごくごく手の届く日常の出来事だった事実があります。

指圧やマッサージを受ける人は、ごく当たり前にセンターに来てくれますが、サラリーマンなどの家庭で育ったごくごく普通の人は、よっぽど縁がないと一生この世界とは縁なしの人がいるようです。

また学生の時に武術をかじっていた時期がありま

して、腰痛や捻挫などの時はよく針、指圧を受けていました。確かに手技療法が身近の存在だったみたいです。

学生時代も終わりに近づき就職しなければならない次期に自分の歩む道がわからずに悶々としていた頃、スペインのバルセロナに遊学する機会ができて遊び半分、語学をマスターすること半分で,1年半ほど滞在しました.

将来の自分の道を見つけるという、まさにその時期にバルセロナにいました。

そんなぶらぶら生活の時、バルセロナのデパートの本屋さんで指圧の本を偶然見つけました。その薄っぺらな本が浪越徳治朗先生のスペイン語に翻訳された本でした。

早速買って勉強をかねて翻訳しながら読み始めました。これが実に頭に入るんです。そしてこんな世界に入ったら面白いかもしれないなーと考えました。1年半スペインにて滞在後、帰国しました。

帰国した早々、日本指圧専門学校(創設者浪越徳治郎)の生徒としてスタートしました。

これが指圧師になったきっかけといえば、言えそうです。

質問2 学生時代はどうすごされましたか

日本指圧専門学校に入学したのが25歳でした。学生としては、若くは無いわけです。大学生時代の親頼みの学生ではありません。この期間にすべてをマスターしなければなりません。

午前のクラスでしたので3ヶ月ぐらい過ぎた頃から巣鴨のとげぬき地蔵にある、指圧の治療所にアルバイトとして潜り込みました。本当の見習いです。まったくの無報酬でいいからとにかく学びたいの一言で契約完了です。トータルすると学生時代、4軒の治療所で学びましたが、私は、外国で指圧をしたいということを正直に最初に話しをしてからのバイトでした

ので、短期間の修行ということでしたが、お世話になった治療所の先生方には本当によくしていただきました。今でもその頃の先生方との交友があります。

何しろ時間が無いということで、日本指圧専門学校の他に、指圧の先生を長とする塾(稲場警護先生を長とする水曜会)に通いました。また外国で指圧が通用し無かったらと麹町リバースのオイルマッサージの講習、三浦寛先生の操体法の講習等、短期間で結構お金を投資しました。

日本指圧専門学校を卒業してからユニバーサルカイロプラクティックカレッジの門をたたき、初期のSOTやトムソンなどの手技も習いました。

ただ今いえることは、指圧学校にしても、講習でもすべてに興味があり、飽きという言葉も必要とせずこれは俺の仕事としてやっていけるという確信がつかめたことが一番の励みになりました。

好きなことを見つけたという充実感があったし、その世界の先生方には、大変魅力的な治療家が沢山いる

ということを気が付かされたこともプラスの要因になりました。

学生時代もいろいろな年代の人がいましたので、人生面で勉強させていただきました。この浪越学院の学生時代が実に印象に残っています。

質問3 浪越徳治朗先生との思い出に残っていることはなんですか。

私たちが学生の頃は、徳治郎先生が晩年の頃でしたので、特別授業として年何回かのペースでしか、接触することができませんでした。

その折に何回か親指を触らせていただいたことがありますが、なんと大きく、マシュマロのように超柔らかかったことが、まるで昨日の出来事のように、印象に残っております。ご高齢にもかかわらず、赤ちゃんの肌の感触でした。

土方や事務職の手でないがとっさの印象です。この時に、この先生は何万人に一人の天職指圧師と確信し

ました。

またスペインに居住まいを定めた何年か後の帰国時にホテルOOKURA、で徳治朗先生以下浪越ファミリーとご苦労界の食事会を設けていただいたこと、また晩年ペルー、バンクーバーなどの世界大会にご一緒させていただいたことが印象深く私の頭にインプットされています。

指圧の心,母心、まこと持って一生実践され、指圧は技術ではなく、人を思いやる心だといい続けた徳治郎先生は永遠の師であります。

質問4 卒業してからスペインに渡るまではどうなされていましたか。

在学中に卒業したら外国で指圧をやろうとので目的意識を持っていましたので、すぐに海外雄飛を考えたのですが、技術的名不足が目に見えていました。そんなこともあり、池袋のユニバーサルカイロプラクティクカレッジに通いました。背骨の問題が外人は多いと聞きましたので最低限の知識を得たいとの思いがあ

りました。学生のときに操体法の講習を受けていましたので単発的な講習にも、出席しました。

午前中は浪越学院、午後は指圧治療院、夜は渋谷のスペイン語学校と休む暇は確かにありませんでした。

ただ30歳を過ぎて、たとえ技術が上達しても,外国に行く根性は若い方があるに決まっています。技術面を追いかけたらきりがありません。30歳前に日本を出ることが、ベターとの結論に至り、技術面の不足ももちろん心配対象にありましたが、29歳の春に日本を出国しました。

質問5 スペインに渡ろうと思ったのはなぜですか。

やはり一度スペインのバルセロナで1年半ほど生活したという地の利とスペイン語圏内ということで南米のたとえばメキシコでもどこでもよかったのですが、友達のスペイン人が何人かいて、今のスペインは、まだまだ開発国の一つだけれども、スペインもヨーロッパ共同体に入ることは、決して遠い先ではない

よの一言に押されてスペインを選びました。

84年にスペインの地を踏みましたが、90年代のスペインは、EC加盟、万博、オリンピックと確かに勢いがありました。

バブルが弾けることを、だれが予想したでしょうかそんなわけで、、スペインに居座り始め35年が過ぎ去りました。

スペインは気候的に大変しのぎやすく、食べ物の食材も豊富で大変住みやすい国です。良くスペイン移住の外人が、スペイン人は、まあまあだけど、スペインは好きです。というフィーリングがわかるような気がします。

質問6 スペインで治療院を開業するのにどんな苦労がありましたか。

外国、特にヨーロッパは、言語によるコムニケーショが全てです。

その点スペイン語は学生時代から勉強してました

ので、日常会話は何とかでしたが、やはり医学的な単語が、不足していたので、徹底的に頭にたたきこみました。

医者が来院すればそれなりの単語で勝負しないとなりませんので、ほかの分野は片言でも筋肉の名前や病名はがんがん覚えました。

また、指圧の言葉自体、ヨーロッパ人には、馴染みが無いので、私は、日本の浪越指圧をすると言っても指圧のブランドなどなんの役に立ちません。

自然治癒力を高めるから週一回の施術を推奨しても理想道理に患者さんが来るわけがありません。それでは何がインパクトがあるかというと能書きはいいから、何しろ痛みをとるこの一言に尽きるわけです。

痛みを一回および2回の施術で取る。このことに集中して勉強しました。

ヨーロッパ人、特にご婦人方は、骨格が華奢な人が多く、頚椎や腰椎(反り腰)の疾患がある人が多いので、症状をパターン化させて独自の方法を生み出すこ

とに専念しました。

浪越指圧の基本を十分に研究した後にヨーロッパ人の体型を考慮した阿是指圧を作り出しました。

フィジカルペイン、メンタルペインの両方を繋いだ心の病は、即肉体に反射、その反対に肉体の病は心に反射、すなわち東洋医学は西洋人にも通じるとの実感を実践で感じ取りました。

好きなことをやってお金を頂く、という感じがいつも体の中にあれば、苦労という言葉は消え去るものです。ただ好きで、やっても体が丈夫でないと長続きしません。体が丈夫に生まれたことは、親に感謝しています。

それとどこにいても、日本に帰ろうという感情がまったく起こらないという性格がよかったのかもしれません。

何やかやで、労働許可証の取得には苦労しましたが、治療院経営に関する苦労はあまり思い当たりません。

 

質問7

治療院だけでなくどうして指圧の教育機関を作ろうと思ったのですか。

指圧の治療は、今でも昔と変わらず一日7,8人、施術しています。経営自体は、治療所だけで十分間に合います。

学院のほうは経営面から考えると趣味的要素が多く嫁さんは何で教えているのか理解できないとよく嘆いています。

なぜ学院で指圧を普及するかという素朴な質問にお答えします。

ヨーロッパでは、禅指圧とかいろいろな指圧という名の療法が、どこの誰が教えたのかわかりませんが、禅指圧というマンモス的なグループが存在しています。

実際、施術、教育と経営面でうまくやっているところも、一杯あります。しかし本物かという言葉を合えて使用すれば、すべてとは言いませんが、偽物がほと

んどです。

日本の指圧ではなく指圧という言葉を使ったまがい物のマッサージです。

そんな時、日本から来た若者(本人)はどう感じますか、情けない、ふざけんなよ、日本をなめている、こんな感情が沸き起こりますよね。

この感情が指圧教育の発奮材料でした。単純明快の発想です。

ただ自分もまだまだ一人前の指圧師とは、あの頃は、は思っていません。

少なくても最初、患者さんの治療に専念して技を磨こうということで、20000時間、すなわち2万回の施術をしてから指圧教育の場を作ろうと決心しました。

何やかやで20000回の施術は、14年かかりました。14年の月日を要して、圧しまくり経験積みました。現場での実践を一様卒業ということで2000年にJAPAN SHIATSU SCHOOL(日西指圧学院)

をオープンしました。

それまで寺子屋的な教育は週末していたのですが正式にすべての書類をスペインの厚生省に提出して指圧教育のための場所を用意して学校をスタートしました。

特に浪越の基本を徹底的に教えて、下地を作ることに時間を割きました。型を重視して基本を全面に押し立てて3年生で計1600時間の時間を消化するカルキュラムを作り指圧教育をスタートさせました。。2000年に創設して、早20年になります。

まだまだですが、特に食える指圧師の育成に精を出しています。

質問8

阿是指圧はどのように生まれたのですか。

日本で生まれた指圧です。もちろん日本人にあった治療法が浪越指圧です。

しかし日本人との体、特に骨格の違いを述べると頚

椎、腰椎における傾斜の違いに驚かされます。西洋人のヒップアップは大変スタイルのよいものに映りますが,腰痛症の20パーセントが椎間板ヘルニアに起因します。日本人の場合は2パ-セントに満たないものと記憶しています。

またこちらの人の首はすっきりという言葉が大変にあうほど華奢にできています。こんなわけで日本スタイルの指圧を取り入れたら次の日に立てなくなってしまうほどの瞑眩作用が起こることが想像できます。実際瞑眩作用には、ずいぶん患者さんも、また私たち治療師も大変驚かされました。

そんな訳もあり、背骨に関する治療のメソッドが西洋人会うメソッドが必要になりました。このメソッドを体の関節の連動を考慮して遠隔部(手先、足先の重要ポイント)からの操作で痛みをとることを考えたのが阿是指圧の始まりです。

経絡上のポイントを見つけることも重要ですが、経絡外の阿是穴を重要視してその反射ポイントを見つ

けて、できるだけ刺激量を少なくポイントに効果を表すことを考えたのが阿是指圧です。

なぜならば、西洋人は、針や指圧などの外からの刺激に慣れていないので刺激はごくごく最小にすることを基本と考えたからです。

このようなことを体型化してパターン化した理論にのっとり操作を行う治療が阿是指圧です。

質問9

阿是指圧の特徴は何ですか。浪越指圧の違いは

私は、浪越の出身ですので、浪越指圧が、バイブルということは浪越の弟子である私たちの基本路線です。

浪越の基本指圧は、長年かかって出来上がったものであり隙が無く、無駄も無い完璧なものです。しかし冒頭で述べたように創始者浪越徳治朗先生は、何万人に一人の親指を持っていた治療家です。

先生の親指は、ただ単に圧するだけで患者さんが満足するものなのです。

それに比べると私の指は、弾力が無く苦手指でした。私の指は、むしろマニプレーションに適した手とよく言われました。

そんなわけもあり、首の治療においては阿是指圧では多彩な技を駆使します。また操体法を習得したおかげで、関節の連動による体の動きを見て硬結が体のどこに集まりやすいかをパターン化することで遠隔操作による痛みの消失を可能にしました。

結論として浪越スタイルは誰もが習得しなければならない指圧の道です。しかし指圧プラクターのすべての人の性格、体の硬さ、親指の体型、体の使い方が異なります。一人一人が、最終的には、浪越の基本を100パーセントマスターしたうえで、各自のスタイルを創造することを浪越徳治朗先生は望んでいると解釈しました。

その点、西洋人は、創造性を持っていますので、正

しい基本を徹底的にマスターさせて一人ひとりが個性を尊重した指圧をマスターすればよいと考えています。これが当指圧学院の基本方針です。型にはまらない自由な指圧を追及してゆく方針を当学院は、実践指導しています。

質問10

指圧の上達法は何ですか。

教えられていた時代。教える立場にいる時代どちらにもいえることは、素直な人ほど上達が早いということです。

受け入れる姿勢が一番です。何しろ言われたことはすべて受け入れます。そして後で自分なりに振り分ければいいのですから。一番は素直さと考えています。

どこにいても人間観察をしろということです。町を

歩いていても何をしている時でも人間の姿勢を観察しろと生徒に教えています。

肉体が内面を反射させます。内面が肉体を反射させます。フィズカルペイン、メンタルペインの消失方法はこの人間観察が基本になります。

今何をあの人は考えているかという身近な疑問が患者さんとの接触時に物を言います。指圧プラクターは一流の心理学者であれと解釈しています。

いつでも笑顔、いつでもプラス思考が施術者の基本姿勢です。そしてすぐに忘れる、そして何事も引きずらないこれが、指圧を一生続ける基本姿勢です。

質問10

一人前の指圧プラクターとは

いつもは何をやっても、めちゃくちゃOK。しかし仕事時はぶれない。そして継続の力を信じる。

悩んだらこの仕事が好きかどうかを自分に問うことです。好きの結論が出れば、できます。続けられます。好きなことは疲れません。

質問11

好きな座右の銘

一期一会(いちごいちえ)

患者さんすべての人、外国にいることも一因していますが、今を大事に生きることを大事にしています。また新しい出会いが最後の別れにも通じているということを末期のがん患者さんなどを施術する機会がこのごろ多いので特に今日この頃感じています。

ありがとうございました。これで小野田茂先生のインタビューを終わります。ありがとうございました。

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